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ペットのお寺では僧侶がご供養と海洋散骨と永代供養をおこなっています

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エッセイESSAY

★ペット供養は必要なのか

ペットが亡くなった時に、供養が必要か否かということについて意見が分かれたりもします。そこで、ペットの供養について書いてみたいと思います。

もともと供養はサンスクリット語のプージャーまたはプージャナーの訳で、諸尊(如来や菩薩や明王や諸天など)に香、華、燈明、飲食(おんじき)などの供物を捧げることを意味します。

日本においては、死者に対しての追善供養(残された者が故人に代わって善い行いをし、その功徳をもって故人の冥福につなげること)を供養ということが多く、一般的に死者への弔いをイメージすることが多いかと思います。

一方で、人形供養とか針供養などの供養も行われています。

自分たちに恩恵を与えてくれた玩具や道具に対して、ありがとうの感謝の気持ちを表して儀式を行うわけです。単なる玩具や道具であれば、役目が終わったらそのまま捨ててしまってもよいという考えもありますが、日本人はそうはしません。

特に、想いを込めた対象などに対して供養したいと考える傾向があります。

人形に対しては擬人化して遊び相手になってくれたり、針は縫う際に気持ちを込めるというところがあり、他の玩具や道具とは想い入れが違うということでもあります。

そのため、処分することで自分に対して悪いことが起こらないようにという気持ちも僅かにあるのではないかとも思われます。

自分に利益をもたらせてくれていた(役に立っていた)相手に対して、役に立たなくなったら感謝も示さずに処分するということを、我々(我々の心)は良くないことと考える傾向があるのではないでしょうか。

日本人は、玩具や道具に対しても供養するように、動物や植物に対しても古くから供養してきました。

一般的に仏教において、動物を供養する際の本尊は馬頭観音(ばとうかんのん)となります。

馬頭観音は、いくつかの異なる姿をしていますがいずれの姿でも基本的に頭に馬の姿があります。昔は、武士にとっても農民にとっても馬は生活の一部となっており大切にされていたことから、死んでしまった馬の冥福を祈る馬頭観音が作られた(観音様の多様な姿の具体的なひとつとして形になった)のではないかと思われます。

そうした流れから、動物全般に対して本尊を馬頭観音とすることが多くなっているようです。(必ずしも本尊を馬頭観音としなくてはいけないということではありません)

このように、私たちは大切に想っていた相手を供養するということを長年行ってきました。

ですので、供養とは、

大切に想っている相手に感謝の気持ちを表す方法

そして、

あの世で安らかにと冥福を願う方法

と考えると良いのではないかと思います。

ペットについても、自分の人生の中で一緒に過ごしてくれた大切な相手だと思います。

そのような相手を供養するのは、私たちにとって自然なことなのだと思うのです。

ペット供養は、私たちの心にとっても、大切なことだと思っております。





★樹木葬、海洋散骨、お墓の建立など、何が良いのか

まず、私たち人間が死後に火葬されて骨壺に入れてお墓に埋葬されるようになったのは、それほど昔のことではありません。

昭和の後期でも土葬をしている地域はまだまだありました。

そして、あまり知られていないようですが、火葬されて骨壺に入れられてお墓に埋葬されても、基本的に三十三回忌のあとには骨壺から遺骨を出して土に還します。

また、お墓の中がいっぱいになると、三十三回忌よりも前に古い遺骨から土に還します。

つまり、ずっと骨壺の中に入れてお墓に埋葬されているわけではなく、いずれ自然に還るわけです。

海外だと、土葬が基本だったり、死者を川に流したり、川の淵で火葬した後に川に流したりする国や地域もあります。

衛生面から火葬することが一般的になってきておりますが、その遺骨をどうするかということになると、最終的には自然に還るわけです。

昔は、土葬した後、その上に墓石を置いたのでそのまま自然に還っていましたが、現代だと火葬した遺骨を骨壺に入れて墓石の下のカロートに安置する方法ですので、このままでは自然に還らず永い時を経て自然に還るようになりますが、この永い時というのは骨壺や墓石やカロートが自然に還るまでですので永遠にも思える長い時間が必要になります。

なぜお墓が必要かといえば、理由はいくつかあると思いますが、一番は残された者が想いを寄せる対象として遺骨がもっともその対象になりやすくて、それを納めている場所が必要で、そこにお参りに行くことで会いに行けるという感覚を得ることが出来るからではないかと思います。

一方で、命は自然に還っていくという循環を考えた場合、なかなか自然に還らない形で保存しているという見方も出来ます。

また、残された者が適切に管理できている間は良いのですが、もし管理する者が誰もいなくなってしまったら、自然に還らない形で放置されてしまうという見方も出来ます。

人間の場合、管理する者がいなくなるといずれは合祀慕などに遺骨が移されて土に還ります。そして墓石を撤去して墓地も空けることになります。

ペット霊園などでも、年間の管理料などの支払いがされず、管理者との連絡が取れなくなった場合には、合祀慕に遺骨を移して土に還し、墓地を空けるというのがほとんどだと思います。

このように考えると、早いか遅いかの違いがあるだけでいずれは自然に還ることになり、永遠にお墓に納まったままという訳ではないのです。

最近は、人間の場合でも墓じまいする人が増えておりますが、人口が減っていき管理する人が居なくなるのが分かっているのであれば当然の流れかと思います。

では、自然に還るという場合、どこに還してあげるかということになりますが、それは樹木葬でも海洋散骨でも良いと思います。

合祀慕であれば土に還るので樹木葬に近いですが、土に還すのでも海に還すのでも自然に還ることに違いはありません。

お墓のように、残された者がその場所に行けるというのは、残された者の心にとって良いことだと思うので、行きやすさで樹木葬というのも良いですし、開発されて土地が掘り起こされたり大きな建物が建築されたりしない場所として海洋散骨というのも良いと思います。

山が好き、海が好きというので決めても良いでしょう。

人間の場合もペットの場合も、しばらくはお墓に安置しておきたいということであれば、霊園(ペット霊園)でお墓を建立したり納骨堂に納めるのも良いですし、自宅に安置して自宅供養も良いと思います。

また、ペットの場合、昔は庭の端や畑の端の方に埋葬してあげたりもしました。衛生面で問題がなく周辺の迷惑にならないのであれば、それでも良いかもしれません。

一番大切なのは、残された者の気持ちです。

いずれは自然に還るとしても、それをいつにするのかはご自身の価値観で決めたり家族と話し合って決めるので良いのではないかと思います。

そして、その方法については仏教的にダメということはありませんし、供養する上での弊害にはなりませんので、ご安心ください。





★僧侶が供養する意味はなにか

ペットのお寺では、全てのペットを僧侶が丁寧にご供養しております。

では、僧侶が供養する意味はなんでしょうか。

最近は、人間の場合でも僧侶による供養をされない人もいらっしゃいます。

僧侶が供養するということは、仏式による供養をするという意味になります。

人間の場合でも、必ずしも仏式で僧侶が供養しなくてはならないということはありません。

キリスト教、ヒンズー教など世の中には様々な宗教があり、それぞれの方法で葬送をしています。

ですから、仏教での葬儀(供養)をおこなわずに他の宗教での葬儀を行うのもありですし、宗教的な葬儀を行わないというのもありだと思います。

ではなぜ多くの日本人が仏式で僧侶による葬儀(供養)を行うのでしょうか。

それは、習慣といってしまえばそれまでなのですが、もう少し分かり易く考えてみると、ご先祖様(家族や自分の知る多くの人たち。みんな)と同じところにいきたいという気持ちがあるからではないかと思います。

仏教では浄土(じょうど)というところにいけるように葬儀(供養)をします。

他の宗教では、別の場所になるかと思います。

身近なところで、祖父母、父母、兄弟、友人、知人など、これまで亡くなった人たちと同じように葬送して欲しいと願うから仏式での葬儀(供養)が日本では多くなっているわけです。

分かりやすくいえば、亡くなった人たちが行っている世界と同じ場所に行きたいと考えており、自分だけが行く場所もなくさまようのを望んでいないので、同じ場所に行けるように、これまで先に亡くなった人たちと同じ方法で葬送してもらうわけです。

ですから逆にいえば、浄土に行きたくないし、安らかな世界も望んでいないということであれば、仏式での葬送は必要ないわけです。

ペットの供養というのも同じように考えて良いと思います。

ペットの場合、先にペットが亡くなり、その後に飼い主が将来亡くなるという流れになりますが、ペットを仏式で葬送(供養)してあれば、将来飼い主が仏式で葬送(供養)されれば、同じ場所に行けるということになります。

少し専門的な話になりますが、仏教には六道輪廻というのがあり、六つの世界を生まれ変わり死に変わりしながら修行を重ねると浄土に行けるとされていますが、供養されることで輪廻することなく(辛い修行をすることなく)浄土にいけるとされています。

そして、この六つの世界の中には人間の世界や動物たちの世界が含まれており、つまりは人間も動物も供養されれば同じく浄土にいけるということになります。

ペットを供養するということは「あの世でまた逢いたい」という願いでもあるわけです。

ペットも人間(飼い主)も、どちらも仏式で葬送(供養)されなければ、どちらも行き場所が定まっていないので別々の場所になってしまいます。

一方で、ペットを仏式で葬送(供養)せずに、人間(飼い主)が仏式で葬送(供養)されただけだと、ペットは人間(飼い主)のいく世界にはいないということになります。

ですので、「あの世でまた逢いたい」との願いを込めて、ペットを仏式で葬送(供養)するわけです。


さて、こうしたことを書くと、「供養しなかったからペットとは逢えないのか」と心配になる人もいるかと思います。

心配しなくて大丈夫です。

全国の様々な寺院で鳥獣供養というのを行っており、全ての動物たちの供養をしています。

ですので、もし飼い主が供養していなかったとしても、寺院(僧侶)によって供養されていますので、大丈夫なのです。

では飼い主が個別に供養する必要はないのではないかと思われると思います。

その通りなのですが、「飼い主が供養しなかったけど寺院(僧侶)が供養しますね」というのではなくて、「飼い主が供養の気持ちを表しています。ですのであなた(ペット)をしっかりと供養しますね」という方が気持ちや愛情が伝わると考えてあげてください。

そうした相手を想う気持ちが、相手(ペット)にとっても大切だし、自分(飼い主)にとっても大切なのだと感じていただけたらと思います。





★その他

ペットのお寺では、思いついたことやお伝えしたいことなどをエッセイとしてこれからも書かせていただきます。





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