海洋散骨は、いつまでも残り、いつでも会いに行けるというのが最大のメリットかと思います。
今から二十年以上前のことになります。私は僧侶として、四百年以上の由緒あるお寺の副住職として働いていました。
そして、当時はまだ、ペットの火葬や供養をするペット霊園は少なく、特に、しっかりと供養してくれるような場所は全国でもほとんどありませんでした。
そこで私は、年間数万人が参拝に訪れる由緒あるお寺の中で、ペットの火葬と供養を含めたペット霊園を始めました。
当時、大変多くの方々が訪れてくださいました。
その後は、引き継ぎをおこなって、私は別のお寺の住職として働くようになりました。
ほどなくしてペットブームとなり、それに伴ってペット霊園が全国に数多く作られるようになりました。
一方で、ペット霊園が乱立してくると、火葬するはずのペットが火葬されずに処分されていたり、ペット霊園が閉園して、埋葬されていた遺骨が放置されていたりするというニュースがテレビで放送されることもありました。
今は、しっかりとしたペット霊園だけが残っているかと思いますが、
当時、そのようなニュースを見聞きしたときは、なんとも胸が苦しかったです。
「ペット霊園が倒産したら、埋葬されているペットたちはどうなってしまうのだろう」
「そもそも本当に手厚く埋葬されているのだろうか」
皆さんはそんな心配はしていないのだろうか?
もし自分だったら、どこを信頼し、どこに埋葬してもらえば将来にわたって安心できるだろうか?
そんなことを考えてみました。
そして、私が群馬から沖縄に移住したことで、「海洋散骨なら、その場所は(海は)いつまでも残る。いつでも会いに行ける」と思うようになりました。
また、今のようなペットブームになる前からペット供養に携わってきた僧侶であれば、信頼していただけるのではないかとも思いました。
海洋散骨であれば、
「ペット霊園が取り壊されて、重機が入って更地にされて、遺骨がどうなったか分からない」
などという悲しい未来にはなりません。
海洋散骨は、自然に還る形ではありますが、その場所に行き、手を海水につけていると、不思議と気持ちがつながっている気がして安らぎます。
供養塔や墓石のような形あるものは残りませんが、
「その場所(海洋散骨場所)は、これから先も、いつまでも残り、いつでも会いに行ける」
それが、海洋散骨の最大の良さではないかと思います。
また、僧侶として、責任をもってしっかりとご対応させていただきます。
ペット霊園の場合ですと、土地の固定資産税や整備などの維持管理費用などが毎年かかるため、どうしてもその分の費用を考慮して料金を決めなくてはなりません。
一方で、海洋散骨の場合は、粉骨や船の燃料などで費用がかかりますが、それ以外の費用はかかりません。
ですので、お手頃な金額で実施出来ます。
ペットのお寺では、単なる海洋散骨ではなく、全てのペットを僧侶が丁寧にご供養しております。
また、ご供養がメインですので、料金は亡きペットの冥福のため(あの世での幸せのため)にご家族が仏前にお供えするお布施となります。(お布施というのが分かりにくい場合は、願いをかなえてもらうためにお賽銭箱に入れる浄財だと思ってください)
このように、供養がメインであり、全てのペットを僧侶が丁寧にご供養しているということをメリットと考えてくださる方が多いことから、多くの方にお申込み頂けているのだと思っております。
そのことを忘れずに、これからも丁寧にご供養させていただきます。
ペットのお寺では、沖縄の海洋散骨や亡きペットへのお手紙などをメインに行っておりますが、海よりも山の方が好きという人もいらっしゃるかと思います。
そこで、信頼できる僧侶仲間の群馬の山のお寺でもペットのご供養を行っているので、「海と山のどちらでもご供養が可能」となっています。(以前、私がいたお寺ではありません。信頼できる僧侶仲間が住職を務めているお寺です)
多少の違いはありますが、群馬の山のお寺の方も、低額でのご供養が可能です。
また、火葬炉、納骨堂などの設備も整っております。
お寺ですので、廃業して無くなってしまうという心配をせずにすみますし、僧侶によって永く供養されるという安心感も同じですので、「海と山のどちらも選べる」とお考えいただければと思います。
また、群馬の山のお寺に納骨された場合であっても、「沖縄の海に亡きペットへの手紙を書く」ということも、もちろん可能です。
群馬の山のお寺(水上寺ペット霊園)での納骨は、基本的に、納骨堂内にある合同永代供養墓への納骨となります。