ペットのお寺の住職をしている羽鳥裕明と申します。
私が、小学生のころ、家族に柴犬がいました。散歩は母親と私が行っておりましたが、当時の私は、ある日、取り返しのつかない大きな失敗をしてしまいます。
いつものように散歩に出かけようとしたとき、リードの一部が壊れていることに気が付きましたが、2つある金具の片方だけが壊れていたので、強度的に問題はないと考えてそのリードを使って散歩に出かけました。
散歩の途中、先に進もうとする私に対して、かたくなにその場所に留まろうとするウチのワンコ。力を込めてリードを引っ張ったそのとき、金具が壊れてウチのワンコは走り出してしまいました。
あわてて追いかけたものの、路地や他人の家の中などを突っ切っていくので、捕まえることができずに見失ってしまい、そしてその直後に、車の急ブレーキの音と、ぶつかる鈍い音。
しばらくして、ウチのワンコが弱々しく歩きながら現れました。私は子どもながらに状況を理解し、両手で抱きかかえ、走って自宅まで戻り、そして、病院に連れて行きましたが、手遅れとなってしまいました。
私は自分の失敗を悔やみながら、泣き続けました。あれほど大泣きをしたのは人生で初めてだったと思います。そして、記憶が定かではありませんが、翌日か翌々日、ペット霊園を探して火葬と納骨をしてもらいました。
昭和五十年代、今のようにペット霊園などはあまりなく、行政機関も対応していなかったので、役所に問い合わせると、ごみとして処理すると言われ、大きなショックを受けたことを覚えています。当時、厚い電話帳をめくってやっと探したペット霊園。親に頼んで連れて行ってもらいましたが、そこではカセットテープで流されるお経の中でお線香を立てるのみで、供養らしい供養をしてあげることが出来ませんでした。
当時、子どもだった私は、無力でした。
時は流れ、私は31歳の時に会社員から僧侶になり、年間数万人の参拝者が訪れる地元で有名なお寺の副住職をしておりましたが、そこで当時は全国的にも例のなかった歴史ある寺院でのペットの火葬・ご供養・霊園に取り組み、多くのご家族の方の心のケアにも携わらせていただきました。
その後、私はそのお寺を出て、小さなお寺の住職をしながら、心理カウンセラーとしてカウンセリングルームを開設し、企業や行政機関などでのメンタル相談員もしながら過ごしておりました。この間、地元の群馬県の他、東京、大阪、京都にも事務所を開設し、テレビ、ラジオ、雑誌など多くのメディアにも出演させていただきました。
50歳を境にして、私は沖縄に移住し、沖縄で僧侶として活動しております。そうした中で、僧侶としてペットのご供養や、ペットロスの癒しに関して、何かをしたいと考えるようになりました。そして、僧侶仲間とともに、ペットのお寺をオープンすることにしたのです。
ペットのお寺は、今のところ、私が事務所として使用している沖縄の古民家と、協力してくれる僧侶仲間のお寺での運用となっておりますが、僧侶仲間と話し合って、ペットロスへの対応など、幅広く活動させていただけるように準備を進めております。
現在、ペットのご供養(法要)は、自分が子どもだった頃のことを思い出し、子どものお小遣いでもなんとかなる金額でお受けさせていただいております。
また、ご要望にお応えして、ペットの海洋散骨も行わせていただいておりまして、こちらも出来るだけ金銭的なご負担がかからないように、配慮しております。
そして、メモリアルグッズは、自分が欲しいなと思うものを厳選してご用意させていただきました。
このような背景のあるペットのお寺は、「小さな負担で手厚くご供養」をコンセプトにしております。
皆様のお役に立てるように、南の島から全国に発信しておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
合掌
ペットのお寺では、皆さんに信頼してお任せいただけるように、全ての工程や内容に対して、私、羽鳥裕明が責任をもって管理いたします。
人任せにして内容の確認もしないなどという、無責任な対応をすることはございません。
また、私自身の身元もしっかりと開示し、安心していただけるように、努めております。
自分自身の経験に基づいておこなっているペットのお寺ですので、初心を忘れることなく、誠実な対応をお約束いたします。
ペットの霊園は全国に沢山ございます。
その中で、ペットのお寺の特徴は、その名前の通り「ペットのためのお寺」となっていることです。
私たち人間にとってのお寺と同じように、亡きペットを僧侶がしっかりと個別にご供養するのがペットのお寺であり、この点が他のペット霊園との違いかと思います。
私が数十年前にやっていたような、寺院が運営するペット霊園も、今はだいぶ増えてきました。
しかし、僧侶が個別に供養する霊園はまだ少なく、さらに心のケアを大切にしているところも少ないと思います。
ペットのお寺では、ペットのご供養と海洋散骨、そして協力寺院である山のお寺の納骨堂でのご供養などを行っておりまして、亡きペットへの気持ちを伝えて心を整理するための場所としてもご利用いただいております。
また、協力寺院である群馬の山のお寺では、火葬、納骨、供養などが行えます。
沖縄の美しい海と、群馬の空気の澄んだ静かな山のどちらでもお好みの場所で、ご供養ができるようになっております。
これは少し難しい質問ではあるのですが、ペットのお寺では、「亡きペットと、残されたご家族とが、共に幸せでいられるように、手助けしたい」と考え、そのために出来ることをやっているという気持ちがあります。
もちろん、他の寺院運営のペット霊園でも同じように考えて、実践されているところはあるかと思います。
しかし、そうでないところもあります。
「供養はするが、あとは知らない」という話も聞きます。
具体的には、
「ペットをなくして寂しくて辛いので、相談に行きたい」というご家族からの電話に対して、「そういうのは困る。供養をするならお経は読むが、それ以外のことはやらない」といって電話を切られたという話を聞いたこともあります。
私が考えている僧侶の役割のひとつに「苦しんでいる人に寄り添うこと」というものがあります。
本来の仏教は、「悩み苦しんでいる人が、どうやったら救われるのか」ということに対しての教えです。
もちろん、時間的な制約で出来ないことや、費用的、スケジュール的に難しいことなどもありますが、出来る限りご家族のご要望に沿ったことをやっていきたいという気持ちを持っております。
亡きペットへのお手紙などもその一環です。
長年、心の問題に携わってきたことも、何か、人の役に立つことに繋がるといいなと思っています。
ペットのお寺は、供養だけではない、何かあたたかいものを考えて取り組んでいるという点を、他との違いだと思っていただけたら嬉しいです。